たむつ なんかいろいろ

記録です ・勉強 ・ダイエット ・料理 ・コスメ

クソ

今までの人生を振り返る。乱れている文章なので読まなくていい。

◆生まれる

 台風の日だったらしい。お腹の中にいるときは、母はずっとサクランボとスイカを食べていたからあなたは2つの果物でできているとか言ってた。

母が抱くとよく泣き、祖母が抱くと機嫌がよさそうだったらしい。憎たらしかったと20の時に言われた。そんなの知らん。小さい時の記憶なんてほぼない。

◆幼稚園

 5人組の女子グループに所属していたが、もともと一人で遊んでいたいタイプだったので辛かった。私みたいなタイプの内気な男のことよく遊んでいた。一番偉い女子みたいのに手元に置きたいと思われていた(母曰く)らしく、ちょっかいを出されていた。あといじめっ子のジャイアンスネ夫みたいなやつにいじめられていた。よく、家にある●●をもってこいとかたかられてたな。サンタクロースが来た時と、誰かのお誕生日会はケーキとか食べられるのがうれしかった。体が弱かったのでしょっちゅう風邪を引いて幼稚園を休んでいた。

 3歳くらいからピアノを習い始めた。ピアノはそんなに好きじゃなかったのでつらかった。

◆小学校

 弟に母がサッカーを勧めていたが、弟より私がやりたいといい、母が驚いていた。思えばこれが悪夢の始まり。サッカーなんてやらなければよかった。サッカーが私の人生を変えた。

最初のサッカークラブは、弱小で、コーチは大学生だった。基礎は学ばずに、のびのびと楽しくやっていた。

ある日、クラスに研修の先生?がきた。その先生はサッカーをしていて、背も高くて筋肉ムッキムキ、自分も先生みたいになりたいと思い、先生が所属していた小学校のサッカーチームに移籍した。これからが本当の悪夢。つらかった。

元のサッカークラブでも、新しくはいったサッカー部でも女子一人でサッカーをしていた。弱小サッカークラブでは通用していたサッカーが、小学校のサッカーでは通用しなかった。県でも一番の強いサッカークラブだったため、練習ではとても浮いた。女子なのでもっと浮いた。ちょっとサッカーやってたやつが、うまいとおだてられてたやつが、ずっとエースだった奴が、挫折したとき、どう立ち直ったらいいかわからなかった。挫折+いじめが始まり、二つを処理しきれなかった私はどんどん崩れていった。サッカーではいろんな体験をした。顔面にサッカーボールがあたって笑われたり、女子だからって笑われたり、年上にいじめられたり、今まで仲良かった男子にいじめられたり。子供からは期待されなかったけど、大人からはすごく期待された。それがあったからすんなりサッカーをやめられなかったのかもしれない。担任だった先生は、女子サッカーが好きで、私に期待していた。他の先生も私に期待していたし、男の子の母親たちにも期待されたし、たくさん守られた。それに加え、弟もサッカークラブに所属していたため、プライドが邪魔した。弟とは、小さい頃は仲が良かったから、姉がいじめられてるところなんて見せたくなかったし、もし弟もいじめられたらどうしようなんて思ってた。そんなことがあって2年間の地獄の生活は始まった。

すごく悲しかったのは覚えているけど、具体的にどんなだったかは覚えてない。

◆中学校

 中学校では小学校に引き続きいじめられた。女子特有の、、というわけでなく、舞祭組だからいじめられたって感じのやつ。あれなんだろうね、、、舞祭組いじりをされるメンバーは決まっていて、レギュラーと凖レギュラーがあった。私は凖レギュラーだったから毎日って程でもないけど、私はプライドが高かった?のですごく傷ついた。からかったりしてきた奴が一緒にサッカーやっていた奴だったから、辛かったと思う。当時はそのつらい記憶を一生懸命忘れようとしていて、葛藤していた。だから、葛藤していた記憶は鮮明にあるんだけど、いじめられていた記憶がない。正直言ってない。これは不幸中の幸いなのかな。

主にサッカーやってるやつにいじめられたが、それが伝染し、クラスの、または他クラスの男子にもいじめられるようになった。あの頃もつらかった。

その時の生徒手帳を見ると、うわ、、、暗い、、、、こりゃいじめられるし、いじめられているような風貌してるなって感じ。自分でその写真をみて、この子かわいそうだなって思った。

いじめられて、見返してやりたい!!!!!!って思うのが普通だけど、私はそう思う余裕がなかった。ずっと自分を責めていて、辛かった感情だけある。親にも相談できなくて、(いじめられていた母同士は仲が良かったし、母はいじめられるようなタイプではない明るい人だから気持ちなんてわからない)でも辛かったりわかってほしくて反抗的な態度を取ったけど、時期が丁度反抗期が来る時期だったから反抗期として受け止められた。

今振り返ってクラスの集合写真を見ると、こんなに人数少なかったっけ??って思うほど、自分が体感していた敵は少なかった。私はもともと女子にいじめられるようなたいぷではなく、自分でもいじめられないよう、敵を作らないように気を付けていた。女子にいじめられる子は、やっぱりかわいい子かな,,,

大学生になった今、小学校からの友達に、私がいじめられていたよね?と話すと、友達は印象になかったらしい。なんじゃそりゃ。いじめてたやつがあんたを好きだったんじゃない??といわれ吐き気がした。そんなわけねぇだろ。

一つだけ謎なことがあって、一度だけサッカー部の女子マネージャーにならないかと誘いを受けたことがある。もちろんコーチからの伝言だったが、私を一番いじめてたやつから伝えられた。すぐ断ったが、別に素直に伝えなくてよかっただろ、、、、と思っている。単純にバカだったのか?

 

◆高校生

 地元を少し離れた高校へ進学。そこでも軽くからかわれる人生を送った。どこ行っても同じなんだなとおもったことは覚えている。また女子に守られて生活をしていた。

2年生の時に友達になった奴が、私のお人よしぶりをほかの人にはなしていたところ、一言、「お人よしの馬鹿」

これを聞いた私は少し怒り、変わろうと決意した。

ここからは順調に色々すすんだ。初めて女子と喧嘩したり、成長したと思う。

◆同窓会について

 全部参加していない。成人式は参加したけど、そのあとの集まりは行かなくて、友達とビュッフェいってそのあと東京タワー上った。

高校の卒業式も、参加したけどすぐ友達と抜けて、浅草橋の雷門に行った。その日の屋台が丁度休みで、私たちだけしかいなかった。雨の日で、卒業アルバムとか全部ぬれてたな。

 

まったく整理できてない、見直しもしてない雑なまとめだから、別にみなくていいです。いつかまとめます。

これ書いてすっきりした。